ガイ・フォークス・デー
前作リローデッド公開時、マトシリーズの重要スタッフと主要キャストとがプロモーションのツアーを行った。
インタビューを受けたジョエル・シルバーは、レボルーソンのビジュアル・エフェクトが複雑すぎて夏公開に間に合わず、第2作との同時発表をあきらめた事を告げ、レボルーソン発表の日に「11月5日を予定しています。」と答えた。
するとヒューゴ・ウィービングがそれに付け加えてこんな事を…。
「イギリスで11月5日は“ガイ・フォークス ・デー”っていう記念日なんだ。だから「レボリューションズ」を公開するのにぴったりだよ。まさに「レボリューションズ・デー」だね。」
(参考記事:Exciteエキサイト:シネマ(映画)特集・MATRIXRELOADED)
どんな日なのか調べてみると…
ある11月5日に、国王にたてついた爆弾テロリスト一味――国王を首長とする国教会に対立するカトリック教徒たち――が事前にばれて逮捕され、以後11月5日はイギリス中が国王の無事を祝ってお祭騒ぎをする日になったのだとか。
11月5日に備え、子供達は一味のリーダー「ガイ・フォークス」に見立てた人形を作り、「ガイに1ペニーおくれ」と
言いながら町中を引っ張りまわしてお金をもらう。夜になるのを待ちかね、人形を積み上げて燃やし、町の人からもらったお小遣いで
買った花火に着火する……。
この祭は、国王の無事を祝う儀式。いわばレボルーソン失敗を祝う儀式である。なぜこの祭が、レボルーソン公開にふさわしいのか。
それは映画のラストに関係しているとわたしは思う。わたしには、人形の取り扱われかたに
連鎖爆発して消えた大勢のスミスのことを、そして思想的理由から起こした火薬陰謀事件がぶっつぶれた事にアンダーソン君のことを、それぞれ重ね合わせたように思えてならない。
…そう、レボルーソンがガイ・フォークス・デー向けだという言葉は、あの物語を公式発表どおり「アンダーソン君の博愛精神が描かれたとても尊い話だ」と受け取っていたら出にくいのではないか。
いくらイギリスにとってはめでたい日とはいえ、ガイ人形の取り扱われ方は「革命が失敗してざまあみろ」というものであり、
「意義のあるレボリューションの話」に相応しいとはとても言えない様な感じがしまいか。
ウィービングは、わたしと同じように、あの物語を単なる革命失敗の物語と取ったのだろうか。
………さて、ヒューゴ・ウィービングは、リロ公開の時点でレボルーソンの終わりを知っていた事になる。この時点で、「リロと同時に撮られたレボルーソン」のラストはわかっていた。
これは、追加撮りが有ったのではないかとするわたしにとってやや不利な証拠だ。しかし、しかしだ。リロ、レボルーソンの主なロケはこの前の年に終了していたそうなので、そこからリロまでの数ヶ月間のうちに、カンフー以外の追加撮りくらいした可能性はある。
現にヒューゴ・ウィービングが、このツアー後、3作同時ロケで有名な「ロード・オブ・ザ・リング」の追加撮りをするためニュージーランドに向かっている。同時ロケといっても、やはり主なロケの他に最後の仕上げとして追加撮りをするのだ。マトシリーズにも追加撮りがあってもおかしくはない。現に公開時期も遅れているし…。
(「指輪追加撮り」参考記事:WOWOW ONLINE CINEMA VOICE
www.wowow.co.jp/cv/vol80_2_jp.html)
ウィービングインタビューについては、他にも興味深い事がある。
知る限りでは、やはりリローデッドがらみの記事「COMIN‘SOON TV web ヒューゴ・ウィービング インタビュー [2003/06/09]」で「もしもスミスがネオを倒したとしたら」「そしてどうなるのか、それは今は言えないんだけどね」などとわざわざ言っていた。
これは余計な発言ではあるまいか。
そしてこのあとウィービングは、日本で行われたレボの行事に来なかった。
この件については「ロード・オブ・ザ・リング」に代表されるほかの仕事が忙しかったからだとも言えよう。とはいうものの…。
コメントの取り置きくらい出来る筈のパンフレットでも、スミス及びウィービング本人に関する記述はリローデッドのパンフレットで既出の話題で行が埋められていた。パンフレット中スミスの紹介ページにあったそれはなんだか記入漏れされていた。引用してみよう――
「(略)でも、本人はそれがイヤでね。人間らしい感情なんて弱みでしかないと。▲湧き上がってくる喜怒哀楽に抵抗を感じないし、むしろ、満足している節さえある。(略)」
三角はわたしが追加した。三角の所に「ところがリローデッド以降は」と付け足さないと、読みづらくないか?
このパンフレットでは、スミスのキャラクター説明だから仕方ないのか知らないが、パンフレット後半「最終章:レボルーソン」のページでまったく同じ話題が繰り返されていた。
そのうえ、これも既出の「分身たちを横から見た時の話」が再録。
いくら本人が言った事とはいえ、髪の毛の話だなんて何度もネタにするような話題ではないだろうに。
ふとこう思った。取材陣が彼を余計な事――わたしが思うに、撮り直しの事――まで言いかねないということで嫌い、インタビュー対象から外し、ついでにふざけた記事まで書いた、などと…。
聞けば彼はかつて「インタビュー」というタイトルの映画に主演したそうなのに、皮肉なものではある…。
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