無駄はない
レボルーソンの上映時間は129分。前々作136分、前作138分に比べて短い。上映期間も若干短い。
なぜ最終話がもっとも短いのだろうか。
しかも、そのうち最初の20分強はトレインマンとクラブ・ヘルがらみの出来事であり、マトシリーズらしくもない
美しくないカットが続出していた。
残る100分の間には、すべての疑問に答えきれていないように見えた。
「ロード・オブ・ザ・リング」のDVDに入っていた映画が劇場公開されたものよりも引き伸ばされていた
という前例があるので、難解なレボルーソンのラストシーンはDVDで補完されると期待されていた。
ところが、ふたを開ければ劇場版そのまま。
…普通追加映像が後から後からつく映画はないので、何も言われなければわたしは怪しまなかったかもしれない。
しかしマトスタッフは、わざわざ「無駄なカットは一切撮っていない」と公言し、あのレボルーソンが決定稿である事を強調した。
余程レボルーソンの内容に自信がないのか。
レボルーソンのストーリーや結末は、誰が観てもはぐらかされたようにしか感じないだろうと、マトスタッフも思っていたのか。その上でそのまま決定稿としたのか。
何か、明確なラストシーンを避ける理由があったのか。
「マトの世界を引き継いだオンラインゲームを出して儲けるため」というのが定説である。オンラインゲームの世界は、確かに群雄割拠の状況にあり、何処かが滅びるということはない。
しかし、ゲームの世界が大抵「主人公が勝つ御伽噺ワールド」をベースにしていて、プレイする人達にそのサクセスストーリーを少しでも夢見させているのに
対し、今度の場合は
全人物が常に「ジェフ・ダロウが20秒で描いたあれ」に管理されているという世界観だ
という事がまる分かりである。
そう考えるとわたし等は白けてしまうのだが、どうか…。
無駄カットは撮られており、それは何か「オンラインゲーム」以外の理由で削られたストーリーの部分なので
公開できないのではないか。
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