主題歌 映画は終わり、エンドクレジットのバックに歌が流れる。その歌は前2作のエンド・クレジットに使われた一連の激しい曲とは趣を異にしていた。
……そのナゾについての話は別の機会に譲って、 第1作のラストに流れた主題歌の謎について書かせていただきたい。 あれほど主人公=キリストと解釈できる映画なのに、映画を締めくくったその歌はアンチキリストと自らうそぶく音楽集団「マリリン・マンソン」の歌「ROCK IS DEAD」。
何故こんな選曲に?!
この映画はキリスト教護法の映画と見せかけて、ふつうのキリスト教護法の映画ではない。
マトは旧来の宗教の良さを認めつつも、形式化し苦手な相手を悪魔呼ばわりするための道具になった「いまの宗教」、アメリカで言えば「いまのキリスト教」では困るとする、そんな話だったのかもしれない。
そして止めにマリリンマンソンだ。あれはまさに、キリスト教を否定するような事をすることで、今の社会の偽善を告発しようとしている、そんな勇ましい楽団だ。 「ROCK IS DEAD」…ロックは死んだ。常に反抗し続ける音楽の筈のロック。ならば常に新しくなり続けるのが望ましいロックが、固定化した「ロック界」になってしまった。 宗教界も、問い続ける事をやめて固まってはいないだろうか。ロック界がこうなったように。少なくともマトスタッフは固まっていると思うぞ。そういう意味でも、監督はロックisデッドと叫んだのだろうか、そんな風にわたしは想像した。 宗教をぶっ飛ばすのではなく、問い直す映画。そう考えると、マトリックス三部作は既成概念をぶっ飛ばしてくれるマンソン的部分と、これまでわたしが胸糞悪いと感じてきた結局キリスト教に帰っていってしまうリロ・レボ部分、そして意味不明だった仏教的な第3部エンディングテーマとが見事に融合し、「いまのキリスト教という形は一度ひっくり返され、問い直された。そしてバイブルの中にもあった良い部分、愛の教えが復活してきた」というより望ましい形へ収束する物語かもしれない。
宗教を問い直す映画。たしかにこれは上の人から見るとアブナイ。こんなアブナイ映画はつまらない続編を作って潰してしまうのが最も良い、とその筋の関係者が思ったことは想像に難くない。発禁にしたのでは伝説になってしまう、ある種のロック音楽のように。 ■ |