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始まり前2作と比べて、質の落ちるカットが多すぎるレボルーソン。 全編腰砕けの映画ならば、単純に「3作も立て続けに作ったので製作スタッフがアイデアに詰まった」と考えられよう。しかし不思議な事に、大きな戦闘シーンには今まで以上の迫力があった。
「じつは現在出回っているレボルーソンは死亡遊戯方式、すなわち何らかの原因で筋が撮影終盤の数ヶ月で大幅に直され、仕方がないので大急ぎで世界設定語りの場面等を作り、ソレをザイオン包囲攻撃やスーパー大乱闘など 手のかかった戦闘場面と繋げ、どうにかこうにか一本の映画に仕立てるといった作られ方をしたのではあるまいか」 ……という説すら唱えたくなる。 主人公が死んだから、ぎゃーぎゃー言っているのではない。ほんとうに、ずっこけてしまう場面は多いのだ。
ひとつ、最も重要な事は、わたしはレボが始めからあのような空しいようにしか思えない映画として作られたのではないのではないか、
と思っていること。
ふたつ、わたしがスミスファンであり、そのせいで文書の後半ではスミスネタ&スミスに扮したヒューゴ・ウィービングのネタが多く出てきている事。 みっつ、主人公の呼び名をアンダーソン君で統一しているという事。
よっつ、文中では何だかんだいろいろと言っているが、スミスのキャラクターはやはり「第1作の無機質な雰囲気」が大前提になくては困るとしている事。 最後に、わたしはMATRIXシリーズが大好きであり、だからこそレボルーソンの絵が前2作と比べて異質に見える事が気になってしまい、 こんな文書を書いたこと。 以下、気になる場面についてDVDを観て考えたことを、映画のストーリーにそって書いていく。
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